叩かれて育った私
子供って叩くと、すぐにいう事を聞くんですよね。
だから、つい叩いてしまう…
そんな「叩いてしまう」という行為がやめられないと悩んでませんか?
私は、幼い頃、怒鳴られると同時に叩かれて育ちました。
母いわく「お尻はいい」という理論があるらしく、ずっとお尻を叩かれて育ちました。
そんな私が今残っている記憶は、「恐怖」「悲しみ」「恐れ」こんなところです。
何が言いたいのか。それは「なんで怒られているかは1ミリも覚えていない」という事です。
叩く事の無意味さ
わかっていても叩いたらいうこと聞くから、叩いてしまう…
わかります。私も同じ気持ちになるし、実際に叩いてしまう時もあります。(今は叩くことはありませんが、叩きたい!衝動にかられることもあります)
でも、自分が幼い時に叩かれて育ったからこそ「叩く事の無意味さ」むしろ「害でしかない」という事がわかるのです。
それは、なんで怒られたのかは覚えておらず、叩かれた事の恐怖。この恐怖感だけが体に、心に、インプットされてしまったからです。
自分の子供が恐怖に怯える子に育ってほしいと思いますか?
私は「いいえ」と答えます。
自分が苦しい思いをしたからこそ、自分の子供には同じ思いをしてほしくはないです。
叩かれた恐怖
なんで叩く事が害になるのか
言うことを聞くし少しくらい叩いても…
「叩いたら言うことを聞いてくれた!」
それは一時的なものでしかありません。
叩かれるのが怖いから、言うことを聞くだけなのです。
叩くという行為の後に残るのは、叩かれた恐怖のみです。
自分の子供への害
私は自分が叩かれて育ったので、子供へも同じことをしてしまいます。
それはなぜか。
怒る事=叩く
これが無意識の中にインプットされているからです。
母にされてきた事は、私にとって当たり前の事で、つまり私が子供にするのも当たり前になってしまうのです。
自分の子供を叩く事の罪悪感は計り知れないです。
叩いた後の、反省と後悔と、一時の感情に左右されてしまう不甲斐なさと、色々な感情に押しつぶされるほどに、叩いてしまった事を悔やみます。
私がこのまま、叩く育児を続ければ、この辛い思いを、自分の子供にさせる事になるんです。
子供が自分の子供(将来の孫)を叩いてしまった時の罪悪感を味合わなくてはいけないのか。
叩かれた恐怖を子供に背負わせるのか?
想像しただけで、耐えられません。
こんな苦しい思いをするのは、私で終わりにします。
自己開示と自己受容
叩く事をやめられたの1番の理由は、自分と向き合い直す事でした。
頭の中で考えている自分の声ではなくて、心の中に感じている自分の声に耳を傾けて、向き合っていくと、自然と怒りというものが消えていきました。
怒りには何か理由があります。
過去の経験だったり、自分のこうあるべきという思いだったり、本当の私はどう思っているのか、少しずつ向き合えると少しずつ改善されてきますよ。
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